江戸時代から明治・大正にかけての日本漢詩文、および日中比較文学(小説・和歌・俳諧・狂歌・狂詩狂文・川柳・演劇・絵画・中国文学)、および人物を研究し、新事実を闡明することをめざす「江戸風雅」の会の情報をお知らせするブログです
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■13号がいよいよ刊行
お待たせいたしました。『江戸風雅』13号がまもなく完成いたします。
例によって、編集後記を転載いたします。

○『江戸風雅』第十三号編集後記
 本号には六編の論文・エッセイ・注釈・影印翻刻を掲載した。
徳田武「洒落本『列仙伝』は上田秋成作なり」は、従来、若き秋成が俳諧に遊んでいることを明示する資料としてのみ利用されて来た洒落本『列仙伝』(先賢卜子夓(か)作)が実は秋成自身によって著わされた作品であろう、という仮説を提唱するものである。そのように考えられる理由は、一つは、本書の内容と秋成晩年の随筆『胆大小心録』とのそれが共通する、という事である。具体的には、俳人松木淡々の強引な門人獲得法、及び、遊客の吝嗇が遊里衰退の原因である、とする説が共通するのである。次に、本書の内容と秋成の後続作とのモデルが一致する、という事である。即ち、顔を傷つけて膏薬を貼っている「伊津や雪」が、柳里から竹の画の幟をもらう、とある『列仙伝』の記載は、『諸道聞耳世間猿』巻三の一「器量は見るに煩悩の雨舎り」で、額に膏薬を貼った尼(正慶尼。木津屋こ万)と柳屋権兵衛(雅名は里江。柳里恭)との葛藤が描かれることの原材料と見られる、という事である。かく本書を秋成作と見ると、本書に『雨月物語」の板元となる野村長兵衛の先代が主要人物として登場している理由も納得できるのである。このように本論は、文学史の一行を変えることを迫るものになろう、と自画自賛する次第である。
 徳田武「秋成の出生秘話と中井履軒・頼春水」は、春水の『霞関掌録』の、大和の庄屋の娘を実母とする秋成が大坂の娼家で.養育されたという情報がどこから得られたか、という問題を扱ったもの。徳田は『霞関掌録』に見られる春水の旅程を検討して、中井履軒との会談の記事に着目し、それは履軒から聞いたものであろう、という説を提唱した。そのように考えられる理由は、春水と履軒が若い時分から老齢に到るまで親密に付き合っている事、秋成と履軒が懐徳堂での出会い以来、後年まで交渉があった事などである。特に秋成と懐徳堂との関係は、従来あまり言及されていないので、そこに筆を費やした。前論と並んで、資料が少なく、あまり知られていない秋成の若年時に迫ろうとする論考である。
 纐纈くりの「鈴木重三先生の思い出」は、神田神保町の和本・浮世絵専門の古書肆大屋書房の四代目である女史のエッセイである。近時、古書業界にも若い女性が進出し、中には和本や唐本についてなかなか深い知識を示す人も見受けるが、くりさんは、その代表格である。くりさんは、ここで書いているように、故鈴木重三氏の薫陶を受け、特に合巻や読本の版本の絵に就いて初刷り本と後刷り本との相違などを教授された。鈴木氏はまた、書房の二階に閉じ籠って、書房が所蔵する『八犬伝』諸版本の絵の相違などを研究し、くりさんにも教えた由で、今の研究者や顧客たちが到底享受できない贅沢な日々を過ごされたという。もっとも私も、『山東京伝全集』の打ち合わせの会では、打ち合わせよりも寧ろもっぱら氏の挿絵に関する薀蓄を聞かされたし、詩と共編した『馬琴中編読本集成』の解題執筆の際にも氏の書誌学的知識に大いに啓発されたのであるが。今後もくりさんが取って置きの秘話を書いてくれるよう期待して已まない。
 徳田武・神田正行・小財陽平「広瀬旭荘の林外・青村宛て書簡」は、日田市の広瀬資料館に所蔵される旭荘書簡の内、息子の林外と淡窓の養子青村に宛てた物を翻字し、更に年時考証を施した上で、時間順に配列したもので、長寿吉・小野精一編『広瀬淡窓旭荘書簡集』のそれを改訂したものである。科研費研究の一環として行ったので、研究担当者全員で作業分担したが、特に翻字と考証は徳田が行ったので、責任は徳田に在る。この結果、旭荘が幼い孝之助(林外)らの子供に暖かい愛情を注いでいる事が知られるのである。なお、作業分担の打ち分けは、序言の末に記してある。
 徳田武・長田和也・藤富史花・松葉友惟「文天祥「正気歌」の変容と特徴(二)ー吉田松陰・広瀬武夫・川田瑞穂に於けるー」は、前号同題の注解を承けるもの。前回同様、四人でたびたび読み合わせ、原稿を作製したもので、やはり文責は徳田にある。今の若い人がこの三人の「正気歌」のようなものに関心を向ける事は、殆ど無いだろうが、近世から近代に到る漢詩史の内の一つの系譜であることは厳然たる事実なので、これがきっかけとなって、この方面に関心が向けられるようになれば幸甚である。それぞれの担当は、各解題に記してある。
 徳田武・神田正行「曲亭馬琴『傾城水滸伝』第十二編 翻刻と影印」では、本編の物語は、原作の第五十五回(通俗本中編・巻二十六)に至る。節柴(原作の柴進に相当)を救出すべく、足羽綾重(高廉)に戦いを挑んだ烈婦たちは、綾重の妖術に苦戦するが、帰還した蓍(めどき)(公孫勝)の加勢によってこれを撃破する。その後、綾重の親族である亀菊(高〓)の命を受けた芍薬(呼延灼)は、連環馬を用いて江鎮泊を攻撃した。その粗暴な振る舞いゆえに、公孫勝の師である羅真人や、旅の同行者戴宗らに苦しめられる黒旋風李逵の滑稽は、本編における力寿の身の上にも、ほぼ『水滸伝』の通りに翻案されている。これらの失敗譚は、原作を知らない婦幼たちにも喜ばれたことであろう



なお、今回の日本近世文学会は、われら明治大学で開催されます。ぜひお立ち寄りください。
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■12号出来
またまた遅ればせながら、12号編集後記を転載いたします。

○『江戸風雅』第十二号編集後記
 本号には七つの論文・エッセイ・翻刻影印を載せた。
 徳田武・山形彩美「蕪村の仮題「四季山水図」に対する疑問」は、『与謝蕪村―翔けめぐる創意』(miho museum)一四四・四五頁に掲載されている「四季山水図」の内、特に秋と冬の図の絵と賛とを取り上げ、両者の即応のありようを検討し、その結果、「秋」「冬」図は必ずしも秋と冬とを描いてはいない、とりわけ「冬」図は冬を描いたものとは到底認められない、従って「四季山水図」と題するのは不適当で、「山水四幅対」とでも称しておくのが妥当だ、と論じたもの。本論は、共同執筆の形を取っているが、どのようにして論文が作製されたのか、その過程は後記に示しておいた。
 徳田武「『南総里見八犬伝』解説」は、『注釈 南総里見八犬伝』(仮題。勉誠出版刊行予定)第一巻(第一回から第十回まで)の解説として執筆したものである。従って、第一回から第十回までが『八犬伝』全体の内でどのような役割を果たしているのか、という点に絞って、その位置づけを論じたものである。結論のみを言うならば、その部分は八犬士出現の「襯染」である、換言すれば、準備部分である、この準備部分が『水滸伝』に比べると異様に長いのが『八犬伝』の特徴である、というもの。ただ、この書の刊行は、注釈は出来ているのだが、校正などに問題があって、難航している。早期の刊行を庶幾している。
 郭穎「古の風雅偲びて江戸漢詩」は、中国の研究者が江戸漢詩や広瀬旭荘を研究するようになった経緯や、研究の間の思い出などを語ったエッセイである。郭穎女史は、厦門大学の日語系副教授であり、このたび創価大学に研究員として来られた由。『東瀛詩選』に就いて論考を物されていることは、ネットで瞥見したことがあるが、実際にはどのような方か知らなかった。それが、最近、神田神保町の漢籍を扱う古書肆で偶然に出会って、急遽、このエッセイを書いてもらう事になったのである。才媛であられることは、題名を発句調で付けている所や、古詩を作っている点に容易に窺える。日本人の漢詩に見られる「和臭」を、近頃では「和秀」と称して、むしろその特性を積極的に評価するという傾向が中国の研究者に存する、という話を、これも近ごろ国文学研究資料館のパーテイで初めて会った陳捷女史(これまた才媛)に窺って、嬉しく思っていたのだが、何とその語は、郭穎女史によって提唱されたのだ、という。江戸人や日本人の漢詩漢文が、こうして中国の妙齢の才媛によって研究されるようになったのは、非常に喜ばしいことだ。
 徳田武「広瀬旭荘と鈴木春山」(一)は、次の論文に扱う『在臆話記』に鈴木春山の名が出て来るので、嘗て読んだ『日間瑣事備忘』の春山伝の面白さを思い出し、それらを利用することにより、旭荘と春山の交友を明らかにしようとしたもの。だが、『備忘』の春山に関する記載は多く、それを読み解くのには意外と時間がかかって、今回は完結するまでに至らなかった。次号での終了を期している。これを書くために筆者は、白山の寂円寺に在る春山の墓を掃苔したが、ほぼ三十年前にもそこに来た事があるのを思い出し、感無量であった。
 徳田武「『在臆話記』の広瀬旭荘記事ー『日間瑣事備忘』の顕彰―」は、岡鹿門が『話記』に記した旭荘関係の情報を取り上げ、それが『備忘』の成立状況を善く説明し、その価値を早くも顕彰していることを解説した。また、『話記』の記載を『備忘』のそれと突き合わせることによって、『話記』の誤りを指摘する。『話記』に記された旭荘の詩を読み解いて、文久元年当時の旭荘の心境を明かすことをも試みる。更には『話記』の河野鉄兜と旭荘の交友の記事を補訂しもした。
 徳田武・長田和也・藤富史花・松葉友惟「文天祥の正気歌の変容と特徴―藤田東湖・国分青厓に於けるー」は、元の文天祥の「正気歌」が日本の藤田東湖と国分青厓によってどのように受容され、再創作されたか、そして東湖と青厓の作にはどのような特色があるのか、そうした変容の原因は何であるのかを明らかにすべく、文天祥・東湖・青厓の作品に注と解釈を施したものである。文天祥と東湖の作には、それぞれ先行業績があるが、青厓のそれには無く、初めての試みである。誰がどの部分を担当したかは、本文を参照されたい。勿論、徳田が全体に眼を通したが、なお、遺漏もあるであろう。
 徳田武・神田正行「『傾城水滸伝』第十一編 翻刻と影印」は、原作『水滸伝』の第四十九回から第五十二回(通俗本では中編巻二十三・二十四)を翻案した部分の翻刻と影印である。上帙四巻は、幸目・狩倉姉妹(原作の解珍・解宝に相当)の投獄から語り起こされ、照鷽(てりうそ。楽和に相当)に糾合された烈婦たちによる姉妹救出を経て、彼女らを加えた江鎮泊軍による祝部(はふりべ)庄討伐に至る。下帙では祝部陥落ののち、朱良井(朱仝)、次いで節柴(柴進)の厄難が語られる。


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■11号目次
たいへん遅ればせながら、11号編集後記を転載いたします。

○『江戸風雅』第十一号編集後記
 本号の発行は、通常のそれよりも二か月ほど遅れたが、それは偏えに私が明治大学を定年退職したことに因る。退職前の一か月、即ち三月は研究室の本の整理に追われた。『古事類苑』や『国史大辞典』等の浩瀚な洋装本は、ネットで見られるようになり、古書価もすっかり無くなった。第一、家に置けるスペースも無い。高価で買った物を破棄するしかない。その為には感傷などは取り払わねばならない。逆にネットで見られない物は、コピーなどしなければならない。原装の方が見やすいが、これまたスペースの関係で、そんな事は言ってられないのだ。
 それでも家に持ち帰らなければならない本が多くある。結構大量なので、それらを一時保管する場所が必要だ。こうした手配で四月は潰れる。かくて、この二か月ほどは原稿も書けない。五月になってから、何とか仕事に取り掛かれるようになり、ようやく二点物することが出来た。そんな訳で遅れざるを得なくなり、読者の方々には御迷惑を掛ける次第になった。御宥恕を願うものである。

 徳田武「趙甌北詩訳注」は、清の有名な学者にして詩人である趙翼の七絶四十数首を取り上げ、簡単な注を添え、現代語訳を施したものである。当初は、和刻本『甌北詩選』(文政十年刊)下巻に収まる七絶をすべて現代語訳する積りで始めたが、それには時間を要するので、取り敢えず出来ただけを収めた。完結を目指している。なぜ筆者が中国文学研究者もあまり扱わない、この人物の詩を読もうと思ったかというと、旭荘に影響を与えているふしがあるからであるが、何よりも先ずその詩が性霊派の作品として面白いからである。その面白さの分析は、後日を期したい。
 小財陽平「頼山陽と六如――茶山詩をめぐって――」は、茶山の詩集に見える、山陽・六如の評語について考察したもの。山陽がしばしば六如を批判する評語を書き入れ、対抗意識を燃やしていた様態を広島県立歴史博物館所蔵『黄葉夕陽村舎詩草稿』にもとづいて整理する。山陽は六如を批判しながらも、六如の指摘を踏まえた上で、詩集の編纂・校訂を行っているが、そうした経緯はすべて削除されており、版本からはうかがい知られない。山陽・六如の評語を検討することで、茶山を含む三者の人間関係や詩風の相違、また版本の成立事情を明らかにする。
  徳田武「広瀬旭荘と筑井崑陽」は、『梅墩詩鈔』第四編の末尾に長い詩を寄せている筑井清という人物が如何なる者であるのか、旭荘とどのような交渉があって詩を寄せるようになったのか、なぜ旭荘は彼の詩を自分の詩集に掲載したのか、という諸問題に就いて、その詩や『日間瑣事備忘』などを資料として考証したものである。また、締切間際になって筑井の自筆稿本である『筑井昆陽先生稿本』をも閲覧できたので、末尾にその成果を簡単に付記した。その結果、詩壇に知られていないこの人物の経歴の一部や詩才の一面などに照明を当てることが出来た、と思う。
 松葉友惟「七律「筆一枝」にみられる国分青厓の文学観」は、明治から昭和前期にかけて生きた漢詩人である、国分青厓についての論である。今回は新聞『日本』に連載された、時事批評の漢詩のうち、明治三十二年に小説について述べた「筆一枝」という詩を取り上げ、この詩の解釈と意義付けとを試みた。その結果、当時に流行していた、世態人情を写し取ることに主眼を置いた小説には否定的であり、東海散士『佳人之奇遇』などの政治小説を理想とするような、時流に乗っていたとは言い難い青厓の小説観が抽出された。
 神田正行「『傾城水滸伝』第十編翻刻と影印」は、上帙(文政十三年刊)と下帙(天保二年刊)を扱う。物語は、原作『水滸伝』の第四十六回(通俗本中編・巻二十二)に当たる。ここで馬琴は、楊雄・石秀による潘巧雲・裴如海(海闍梨)殺しを、夏楊・岩ひばによる遣水・波海殺しとして翻案する。そして、人物関係に些少の改変を加えて、単純な男女逆転とそれに伴う不都合とを回避している。上帙は、早潮(原作の時遷)の鶏卵窃盗をもって結ばれる。この小波瀾を契機として、下帙(天保二年刊)では江鎮泊軍と祝部一家との抗争が勃発し、その戦闘の最中にも、複数の烈婦が三世姫の配下に加わることとなる。

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■第10号完成
おかげさまで『江戸風雅』も第10号刊行のはこびとなりました。
会員の皆様には本日、発送しましたので、お手元に届くのを楽しみにお待ちください。

■学会販売
11月22日(土)、23日(日)、日本大学文理学部で開催される、日本近世文学会におきまして店頭販売いたします。
まだ会員になっていらっしゃらない方は、この機会にぜひお手にとってください。バックナンバーの販売も行います。

■編集後記
記念すべき第10号の編集後記は下記のとおりです。

○『江戸風雅』第十号編集後記

 私的な事で恐縮であるが、私は本年で古希を迎えた。また、四十一年お世話になった明治大学を定年退職することになる。とすれば、本号は、古希および定年退職記念号ということになる。恰かも好し、本誌は第十号に到った。個人雑誌に等しい本誌がここまで継続したのも、会員諸氏と読者諸賢のお蔭であるが、一方では粘りをも必要とする。嗚呼、何物の迂拙男児ぞ、私には粘ることしか自分を活かしていく途が無い。体と精神と資金が続く限りは本誌を継続して行きたいと思うのだが。皆様の一層の御支援をお願いする次第です。
 徳田武「広瀬旭荘『日間瑣事備忘』の顕彰―亀谷省軒・牧野藻洲・西村天囚に於けるー」は、今でこそ有名になった『備忘』が、亀谷省軒によって初めてその価値が認められ、ついで牧野藻洲や西村天囚によって顕彰が継続されてゆく様相を展望したものである。その際、省軒に関しては、あまり伝が知られていないので、旭荘との交渉が細大漏らさず分かるように『備忘』から関連記事を網羅して、それを訳し解説することに務めた。また、その時期は、池内陶所が暗殺されるなど、幕末の物騒な盛りなのであるが、そうした世情が旭荘にどのような影響を与えているかを追尋した。
 徳田武「久坂玄瑞の『九仭日記』」は、玄瑞の安政六年、二十歳の漢文日記を読み解き、幕末の志士の内では有数の勉強家である彼の読書傾向と思想の形成過程、および師の吉田松陰との交渉の在り様を探ったものである。和臭が少なくない、その漢文は、かつて『吉田松陰全集』別巻(昭和四十七年、大和書房版)に読み下されていたが、その読みには誤りも散見するので、できるだけそれを正した積りである。また、この日記を読むためには玄瑞の伝記上の知識を知っておく必要があるので、取りあえず必要な予備知識を年譜の形式で記しておいた。但し、まだ未完成の形であることを了承されたい。
 小財陽平・長田和也「『江上漁吟』(品川竹枝)評釈(下)」は、前号につづいて、『江上漁吟』第二十一首から三十五首に訳注を施したもの。品川では一番高い女郎が十匁の銀だったことを踏まえた第三十首などは面白い。他にも、海に遊び観月を楽しむ品川の遊客の様態がうかがえる作が収録されている。
 徳田武・神田正行の「曲亭馬琴『傾城水滸伝』第九編翻刻と影印」は、原作『水滸伝』の第四十回から第四十四回(通俗本中編・巻二十一)に至る部分の翻案である。前半は、春雨の大箱(原作の宋江に相当)の関東における厄難と救出、後半では、狼に母親を食い殺された力寿(原作の黒旋風李逵)の報仇が描かれる。とりわけ、大箱が還道村(かへさぢむら)の弁才天(九天玄女)から天書を授かる一段は、百八烈婦の正当性を保証する重要な筋立てである。
 今村孝治著、徳田武増訂「中島子玉」は、今村著『二豊人文志』(昭和十八年、朋文堂刊)に収められた、咸宜園の英才中島米華の伝記を、今の読者に読み易いように修訂したものである。その修訂で心がけたのは、所引の漢詩文にすべて訓読を添えたことである。とりわけ名高い「美人十二詠」は、なかなか難解な詩であり、まだ研究が為されていないものと思うが、その訓読は稀な試みではなかろうか。惜しむらくは、現代語訳を施すまでの時間的余裕を得なかったので、いずれ機会を改めて現代語訳なども行いたい。本文作成には、長田和也・山形彩美の協力を得た。巻末には、臼杵市の郷土史家である吉田稔氏の今村孝治に関する文章を、その御許可を得て付した。感謝致します。
  平成二十六年十一月十五日

徳田 武

□『江戸風雅」最新号

お待たせいたしました。『江戸風雅』第9号が完成、せんじつ会員の皆様に発送いたしました。
今号も300ページにせまる、読み応え十分の一冊となりました。
以下に収録内容を掲げておきますので、まだ会員になっておられない方はこの機会にぜひご一読ください。



魯大鳴氏「「三国志」観後感」
魯大鳴氏「京劇の演目」
 「増訂 西村天囚著『亀門の二広』 広瀬旭荘」
徳田武「広瀬旭荘略年譜」
徳田武「広瀬旭荘と春日載陽」
小財陽平「寛政七年の菅茶山」
徳田武・小財陽平「菅茶山遺文」
徳田武・小財陽平「訳注『明治詩話』(七)」
長田和也「『報仇高尾外伝』の方法」
小財陽平・長田和也「『江上漁吟』(品川竹枝)評釈(上)」
大井奈美「漢詩から見た正岡子規の対外関心」
徳田武「内藤湖南文集の近古漢文学史上の価値」
徳田武・神田正行「傾城水滸伝」


全部で13篇の論稿・資料紹介が集まりました。お寄せいただいた皆様にあつく御礼申し上げます。

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